Traveling -Lima, and Summary-

     
ということで、リマ&旅の総括です。

リマは都市なのであまり興味がなかったけれど、トランジットまで時間があったので、
空港を出てミラフローレス地区へ行き、ツアーバスに乗って市内観光しました。
ミラフローレス地区には大型カジノがたくさん!! ギャンブル目当てで中南米から集まってくる観光客も多いみたい。

リマの街は、なんとなくキューバの首都ハバナに似ていましたね〜。
なんか灰色というか……曇り空のせいだけではないと思う。
建物のつくりなどが社会主義の雰囲気。過去の軍事政権など、歴史を背負った街なんでしょうね。


下の画像、たぶんここがリマ観光のメインスポット。
このサンフランシスコ教会の地下には、カタコンベがあって人骨が見れるんです。
骨がパーツごとに整然と分類されていたので驚いて、ガイドに「すごい、何か薬品で処理されてたの!?」と聞いたら、
「観光客に見せるためにディスプレイされた」そうです(えーっ!笑)

その後はケンタッキーでフライドチキンを食べて、空港に戻ってグダグダしました。
メキシコのKFCはユニークでいまいちなんだけど、ペルーのKFCは美味!


てことで、今回の旅の総括!
(*注:ここからは差別の話も出てくるので、先入観を持ちたくない方は読まないでください。
 ネガティブなことを書くか迷いましたが、今回の旅で避けて通れない内容なので書きます)

ブログを読んで頂いた方はすでにお分かりかと思いますが、私はペルーは好きになれませんでした。
というのも、クスコ以外では「チーノ(アジア人の蔑称)は蔑んでもよい」という雰囲気があったからです。
もちろんどこの国でも差別をする人間はいるんですけど、欧米先進国でもメキシコでも、
人種や肌の色で相手をバカにした場合は確実に周囲から白い目で見られるし、
「やめなよ!」と良識ある友人がたしなめることも多い。
でも、残念ながらペルーにはそれがなかった。

気になったので、タクシー運転手に思いきって差別について聞いてみたんですよ。
そしたら「先住民への差別はあるねぇ。でもアジア人はわかんないなー」と言ってたけど、
途中でアジア系ご老人を見た瞬間に「あれチーノ!?」て大声で私たちに聞いてきましたから(窓全開で絶対相手に聞こえてた)
これ悪気がないから、なお恐ろしいっていうか……先住民差別も認めちゃってるし。
「差別=文化」みたいになっていて、何がいけないか根本的に理解できないのかもって思いました。。
フジモリ大統領も選挙戦で自分のこと「エル・チーノ」と呼ばせていたみたいだし。
ペルー人同士でさえも互いを警戒しあっていて、誰も信用してない感じなので、いろいろ根深そうです。

そして今回差別される側になって、差別をし返してしまいそうになる自分自身に気付いてショックでした。
そういう感覚を持つことは美意識に反するし、ものすごくしんどい。。
これまで露骨な人種差別は受けたことがなかった自分は恵まれていたんだと再確認!!



さて、ボリビアはペルーの隣国ですが、人間の気質はまったく違いました。
先住民がペルーは「ケチュア族」で、ボリビアは「アイマラ族」なせいか、
容姿や伝統衣装は似ているんですけど、性格がのんびりした感じ。言語も違います。
先のトランスジェンダーの警官の例もあり、マイノリティも受け入れる国という印象。
ウユニも美しかったし、ボリビアではよい想い出ばかりです。
隣国なのにあまりに違うので、DNAや言語が人格形成にどう影響するのかとか、いろいろ考えていました。

ところで帰宅して友達と話して気付いたのですが、面白いことにペルーとボリビアは評価が分かれます。
ホワイトの人々は「ペルーはフレンドリー、ボリビアはオープンじゃない」とのこと。
メキシコの人々は「ペルーは難しい。人を信用できない」と。

これたぶん、スペイン語が話せるか話せないかが大きいのと、
ペルーは紹介手数料目当てで「アミーゴ!」と寄ってきて、観光客をホテルやレストランに案内することが多いからかなぁと。
スペイン語がわからなければわからないほど、強引に連れて行かれます。
でもボラれることを気にしないなら、いろいろ紹介してくれる良い人に見えますもんね。

時と場合によっては、強引でもいろいろ紹介してもらえる方が助かるかもしれませんが、
旅の安全管理の基本として、妙にフレンドリーな相手は疑った方がいいとは思います。
逆にボリビアでは、たしかに強引な客引きってほとんどなかった。
いろいろ話を聞いて、それぞれ視点が違って面白いなーと思いました。


と総括がなが〜くなりましたが、良いことも嫌なこともあったけれど、
いろいろなことを考えさせられて、自分の糧になる旅だったなぁと思います!
国ごとにステレオタイプというのもあり、意外と当たってることも多いけれど、
全員が全員そういう人間だってことはないわけだし。
人種や国籍など生まれ持った何かではなく、きちんと“中身”で相手を見極めたいものだと、心から思います。(了)